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八月の言葉

遠く鳴る太鼓の音や盆の月

 

 お盆の風景も変わりました。

 亡き人を偲ぶ行為も初盆のみに成るのでしょうか。

 「供養は自力でしょ、だから真宗はお盆に重きを置かないのでは」とかえせれば立派な理屈の一つです。

 供養は供給資養ですから、餓鬼道に落ちて苦しんでいる人がいれば手を差し延べねばならない謂れもあります。

 生きてる人間の側の都合で盆供養を省略するのも少し寂し気がします。

 盆踊りや盆参りで育った身には尚更です。

 でも有り難いことに念仏の人が生まれる国では、自由に他国におもむき即座に三宝を供養し、心のままに必要な物資を具えられる所です。

 供養は尊敬です。

 そう亡き人を尊敬できる人はこの世でも供養ができるのではないでしょうか。

​ やはりお盆はふる里の父母のにおいがします。

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